熱中症労災の損害賠償請求
法人・事業主に対する熱中症の損害賠償における請求の要件は、下記のとおりです。
➀ 使用者等に注意義務違反ないし安全配慮義務違反が認められること。
② 損害の発生及びその額
③ ➀と②の間の因果関係
この点、民事上の損害賠償請求において特に問題となりやすいものは、注意義務ないし安全配慮義務並びに義務違反の具体的内容です。
Ⅰ 義務違反の内容
(1)関連法令等
熱中症に関連する法令としては、下記のものなどがあります。
(a)労働安全衛生法
① 作業環境管理に関するもの
② 作業環境を快適な状況に持続するための措置努力義務
(b)労働安全衛生規則
➀ 作業環境測定を行うべき高温、極寒、多湿の屋内作業場の指定
② 屋内作業場の温湿度調整措置
③ 気温、温度等の測定
④ 多量の発汗作業に関する措置として塩分並びに飲料水の提供
もっとも、これらの法令は、必ずしも具体的ではなく、安全義務配慮ないし注意義務の根拠とはなっても、具体的な義務の内容を特定する上ではいつも十分とはいえません。
(2)具体的義務の内容について
業務中の猛暑環境が原因で発生する熱中症について法人・事業主が負っている義務は、主に、
(a)救護業務、(b)注意義務ないし安全配慮義務の2つがあると考えられます。
(a)救護業務
猛暑により熱中症にかかってしまった労働者に対して、業務上の指揮監督を行う権限を有する使用者又は上司が正しい救護活動を行う義務です。
この点を具体的に記した平成21年に出された「職場における熱中症の予防について」に添付されているパンフレットには、労働者に熱中症を疑う症状が出た時の「救護措置」の方法が記載されています。
➀ 意識がない、応答がない、返事がおかしい、全身が痛いなどの場合には救急隊を要請する。
② ➀までの症状ではないけれど、水分を自分で接種できないか、涼しい環境へ避難させ
服を脱がし、冷却し水分や塩分を摂取させても回復しない場合には医療機関へ搬送する手続きをする。
特に熱中症は、そのままの状態にしておくと容体が急激に悪化する危険があるため、早い段階に正確な救護が求められます。
雇い主、業務上の指揮監督を行う者が、救護義務を怠って被災労働者の熱中症を重症化させた場合には、これによって被災労働者が被った精神的・肉体的な被害について損害賠償義務を負うことになります。
その具体的な内容として、労働者に熱中症の恐れがある症状が現れるなどの健康状態の悪化した点についての認識があったときは、上記➀②の措置をとることが使用者等に義務づけられているです。
(b)注意義務ないし安全配慮義務の具体的内容
(イ) 熱中症に関する安全配慮義務・注意義務
使用者等は、温度・湿度などの作業環境、内容、時間等を正確に管理し、労働者が熱中症を発症しないような注意義務を負っています。
救護義務がすでに発症してしまった熱中症の被害を最小限にする義務であるのに対し、前述した義務は、そもそも労働者が熱中症を発症しないようにという予防の義務です。
熱中症が急激に悪化する病気であることからも、熱中症の損害賠償請求においては、この義務の方がより本質的であるといえます。
(ロ)安全配慮義務・注意義務の具体的な内容
過去に厚労省は下記のような通達を発表し、熱中症労災についての警鐘とその対策の重要性を発信してきました。
平成8年 「熱中症の予防について」
平成17年「熱中症の予防対策におけるWBGT値の活用について」
平成21年「職場における熱中症予防マニュアル」
上記の通達は、熱中症予防対策として、共通して下記の措置を取るべきであるとしています。
➀ 作業環境管理
WBGT値の測定並びに温度、湿度を低下させる装置、休憩場所の整備等。
② 作業管理
作業時間の短縮、熱への順化、水分および塩分の摂取、服装への配慮、作業中の巡視。
③ 健康管理
健康診断の実施、労働者の健康管理指導、作業開始前における労働者の健康状態の確認。
④ 労働衛生教育
作業管理者及び労働者に対する熱中症の症状、予防方法、緊急時の応急措置等についての労働衛生教育。
⑤ 救急措置
熱中症の恐れがある症状が出た時に適切な措置を行わせること。
そこで、上記のうち➀あるいは④について適切な措置をとることが熱中症の安全配慮義務及び注意義務の具体的な内容となります。
具体的には、雇い主、業務上の指揮監督を行う者は、第一に温度・湿度、その作業がどれくらい身体に負荷を与えるのか、衣服の組み合わせによる補正、暑熱順化があるかどうかで計算される基準値を超えた環境で労働をさせないよう心掛けるべきです。
もし仮に、前述した環境を超える劣悪な環境での作業を行わせる時は、温度・湿度を下げる装置や、作業時間の短縮、作業時刻の変更、作業人数や器具を利用した作業がどれくらい身体に負荷を与えるのかなどの特別な措置を行うべきです。
法人・事業主が上記義務に違反して労働者に熱中症を発症させ、もしくは重症化させた場合には、これによって労働者が被った身体の被害について損害賠償義務を負うことになります。
Ⅱ 裁判例について
業務中の職場で発生した熱中症の損害賠償請求について雇い主、業務上の指揮監督を行う者の責任を認めた判例として、大阪公判平成28年・1・21があります。
就労初日に、猛暑環境で庭の伐採や清掃作業等に従事していた労働者が熱中所を発症してなくなったことについて、遺族が事業主に対し損害賠償請求訴訟を行ったものです。
第1審である京都地判生成26・3・31が雇い主、業務上の指揮監督を行う者の安全配慮義務ないしは注意義務違反をいずれも認めず請求を棄却したのに対し、大阪公判は業務上の指揮監督を行う者に対し現場で労働者を指揮していた上司の義務違反に基づく使用者責任だけでなく、その場にいなかった業務上の指揮監督を行う者自身にも安全義務配慮義務違反があったとして事業主の責任を認めました。
判決は、現場で労働者を指揮監督をしていた上司に対し、
「本件現場においてAを指揮監督する立場にありながら、Aが14時ごろから体調が悪くなったことを知っていたにもかかわらず、その後Aの状態を確認せず、猛暑環境を避けるための場所で休養させることを考えず、そのままの状態でAをその現場に放置し、熱中症による心肺停止状態の直前まで、救急車を呼ぶという措置をとらなかった」
ことが、不法行為責任を負うものとし、これにより業務上の指揮監督を行う者の使用者責任を認めました。
その上で、判決は使用者自身の安全配慮義務違反についても「事案の性質に鑑み」判断するとして、熱中症の発症による死亡災害の防止対策のために「具体的にどういった対策をすべきかについては、厚労省において前述したとおり、各種の対応策を示しており、これが使用者の義務を作成する際の根拠となり得る」としています。
そして、本件においては、使用者が上司に対して、各種通達等に記載された労働安全教育としていなかったことをもって、安全義務配慮違反があったと認めています。
何よりも、熱中症災害の損害賠償請求において判断基準を示した判例は、書籍や新聞等に掲載されている限り本件のみであることから、今後裁判例の集積がされる可能性あります。